ヤマトノ教室|勉強ブログ

公務員試験、資格試験、進学受験の対策

政教分離とは?政党が宗教団体を応援するのはヤバいのか

岸田首相の池田大作氏に対するポストが波紋を呼んでいます。SNS内では、政教分離について疑問を感じている人も多いようです。

この記事では、こうした背景を踏まえつつ政教分離の定義を簡単に紹介します。誤解を生むことも多いので、正しく意味を捉えましょう。

時事問題について解説しつつ、法律や政治を勉強している方はぜひ目を通してみてください。

◆この記事でわかること◆
・政教分離の定義
・政教分離で認められている行為
・政教分離で禁じられている行為
・岸田首相のポストは政教分離に反しない

 

 

政教分離とは

政教分離とは、政治と宗教のつながりをなくし間接的に信教の自由を守るための考え方です。日本国憲法の第20条に定められています。

政教分離の意義は、大きく分けて3つあります。

  • 少数者の信教の自由を保障
  • 宗教による政治の崩壊を防ぐ
  • 宗教団体の国家依存を防ぐ

まず、狙いとしているのが少数者の信教の自由を保障することです。多数派の宗教に押しつぶされないよう、一人ひとりの信教を大事にしています。

しかし、国家があまりにも宗教とズブズブの関係を作りすぎると、政治が支配される恐れもあります。しっかりと線引きを行い、必要以上に関わらせないようにするのも政教分離の役目です。

 

政教分離の正しい内容

岸田首相のポストに関して、政教分離の観点から否定している人も少なからずいます。しかし、今回の内容は政教分離と直接的な関わりを持つものではありません

この言葉の意味は、非常に勘違いされやすいので具体的な中身を詳しく解説しましょう。

宗教団体の政治運動は可能

政教分離では、しばしば宗教団体は一切の政治運動ができないと勘違いされます。しかし、日本国憲法は宗教団体が政治に参加することを認めています

津地鎮祭事件(最大判昭和52年7月13日)でも、最高裁は政治と宗教の関わりが一切許されないものではないと判旨されました。

公明党や幸福実現党も、宗教団体から派生した政党です。このことからも、宗教団体による政治参加自体は問題ないと考えられています。

つまり、政教分離の観点から政党の存在自体を批判するのは憲法上としては不適切です。

非課税措置も違法ではない

日本国憲法は、宗教団体の非課税措置についても適法と判断しています。その理由は、非課税や減税措置を受けている団体は宗教に限らないからです。

社会福祉法人や学校法人、日本赤十字社と優遇措置されている法人は数多くあるのに、宗教法人のみが特別視されるのは不合理だと考えられています。

ただし、非課税措置は学者によって意見も分かれているようです。

さらに、建物の管理や修理の際に国から補助金を出すことも有効とされています。

お金が関わる部分は、不愉快に感じる人もいるでしょう。さまざまな意見はあると思いますが、とりあえずは憲法上では今のところ問題ないと押さえてください。

公金支出は禁止

国や地方公共団体が宗教団体に対して公金を支出することは、違法になるケースもあります。特に有名な事件が愛媛玉串訴訟(最大判平成9年4月2日)です。

こちらの事件では、愛媛県の知事が靖国神社に対して7万6,000円、愛媛神社に対して9万円の公金を出しました。住民側は、政教分離違反として住民訴訟を提起します。

結論として、最高裁判所は県知事の行為は憲法に違反すると判旨しました。

理由は、特定の宗教に対する援助・助長・促進になり、関わり合いが社会・文化的の限度を超えると示したためです。

さらに日本国憲法第89条では、宗教団体に対する公金の支出を禁止しています

第89条

公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。

引用:e-Gov法令検索

このように財産面では、政治と宗教の関わりが極めて厳格です。

 

 

政教分離の法的性格

政教分離には、学者によってさまざまな見解があります。特に主流とされている法的性格は、制度的保障説と人権説です。それぞれの内容をまとめます。

制度的保障説

制度的保障説は、政教分離を信教の自由を保障するための制度とみなす考え方です。信教の自由を侵さない程度において、法律で内容を決めると考えられています。

政教分離に権利を認めず、原則として訴訟の対象にもならないと捉えるのが特徴です。ただし、制度の強制や住民訴訟は例外的に訴えを起こせるとされています。

制度的保障説の批判されるポイントは、政治と宗教が結びつきやすい点です。法律の抜け目を上手く探せば、問題なく関わりを持てる観点から反対意見が存在します。

前述した津地鎮祭事件では、制度的保障説を根拠に政教分離を判旨しました。

人権説

人権説は、政教分離も信教の自由にかかる権利の一つと考える説です。人権の一種であるため、制度的保障説とは異なり訴訟も問題なく認められます

間接的に圧迫を受けない権利とみなされるものの、これらに該当する要素についてが不明確であると批判もされているのも特徴です。

とはいえ、双方の説を比較したところで決着するポイントが見当たらないため、対立させる意味はないという見方もあります。

 

岸田首相のポストは問題か

今回の騒動の発端となった、岸田首相のポストに問題はあったのでしょうか。ここでは、感情論も踏まえたうえでポストの問題点を解説します。

政教分離では問題なし

岸田首相のポストについて、政教分離の観点からの批判も少なくありません。しかし、政教分離の定義からは問題ないといえます。

なぜなら、ポストには宗教団体名の記載が一切ないからです。宗教団体ではなく、あくまで個人に対する賛辞を送る内容となっています。

このあたりは、岸田首相の計算高さが表れた部分かもしれません。

さらに、政教分離の原則は個人の信教の自由を否定する考え方でもありません。国家が特定の宗教に特権を持たせるのを禁じた内容です。

これらを総合的に鑑みると、岸田首相のポスト自体は違憲とは結論づけられないでしょう。

感情的には微妙

政教分離の点では問題なくとも、個人的には感情論として避けるべきだったと考えます。なぜなら、多くの国民は個人名から特定の宗教団体を連想できるためです。

無論、個人として敬意を示す分には悪いわけではありません。ただし、一国の首相である以上は、わざわざSNSで発表する必要はなかったと思います。

別に私自身はその宗教団体について、特別嫌な感情を持っていません。しかし、政治の面で客観的に見るとデリケートな部分にはなります。宗教の名称だけで、拒否反応を起こす人も一定数いるからです。

岸田首相は「自分の行動・言動で国民がどう思うか」を全くもって想像できていません。このイメージ力のなさは、岸田首相にとって1番の弱点となりそうです。

今後も、ポストについてはSNSを中心に多くの人から批難されてしまうでしょう。

 

まとめ

今回は、政教分離の内容に照らし合わせながら岸田首相のポストについて解説しました。

岸田首相のポストそのものは、政教分離に反するわけではありません。そのため、憲法上では大きな問題はないといえます。

しかし、感情論としては別の話です。ポスト一つとっても、国民がどう思うかを一国のリーダーは常々感じ取らなければなりません。

我々も、こうした憲法や法律のルールを正しく押さえる必要があります。今後も、ニュース記事を見ながら法律や政治、経済の内容を紹介するので「マト塾」をチェックしてみてください。