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バブル経済とは?プラザ合意と崩壊を招いた原因について解説

皆さんも、一度は耳にしたことがあるだろうバブル経済。しかしバブル崩壊により、日本は失われた30年と呼ばれるデフレ時代に突入しました。

2024年2月現在、日本は再度株価がグングンと上昇しています。さらに日本銀行も認める程、デフレ脱却を見事に達成しました。

今回は株価が上がっている最中、改めてバブル経済の内容と崩壊を招いた原因について解説します。バブルと関連して、プラザ合意の内容も併せて押さえてください。

 

バブル経済とは

まずは簡単にバブル経済の意味を解説します。「バブル=好景気」と捉える人もいますが、この解釈はあまり正しいとはいえません。

バブルは文字通り「泡」を指す単語です。泡は簡単に触れるだけで、跡形もなく消えてしまいます。

つまり、国内の実体経済に伴わず土地や株式などの価格が高騰し続ける状態を表します。実体とはかけ離れているため、軽く刺激を与えるだけで一気に消滅してしまうのです。

実際に1980年頃に日本で起こったバブルも、1990年代初頭と短期間で崩壊を招きました。借金してまで土地や株式にお金を費やしていた人は、返済地獄に負われる羽目になります。

今の日本が現金主義からアップデートできないのも、少なからずバブル崩壊の影響はあるでしょう。

 

バブル経済が生まれた背景

1980年代の日本において、株価や不動産価格が上昇した背景には何があったのでしょうか。ここでは一般的にいわれているバブル経済が生まれた背景を解説します。

プラザ合意による円高不況

バブル経済に繋がった背景として欠かせないのは、プラザ合意による円高不況です。

プラザ合意とは、主に日本とアメリカの貿易関係を見直すための合意を指します。

当時のアメリカは、国内で問題になっていたインフレへの対策として厳格な金融引き締め対策を講じていました。金融引き締めの結果、インフレは収まったものの日本との関係で貿易赤字が拡大します。

この頃の日本では、輸出産業に力を入れており対米との関係では大幅な貿易黒字を誇っていました。

アメリカは貿易赤字に加え、財政面でも少額ではあるものの赤字を出します。要するに貿易赤字と財政赤字を同時に抱える双子の赤字を生んでしまったのです。

そこでアメリカは竹下登政権時(1985年9月22日)に、ニューヨークのプラザホテルでドイツやフランスのお偉いさんも交えて会議を行いました。

プラザ合意以降、日本は1ドル=235円程度で取引していたのが、最終的に1ドル=150円と大きく円高に振れます。

公定歩合の引き下げへ

プラザ合意が交わされた直後、日銀は短期金融市場の金利を高めに設定しました(高目放置)。

しかし世間は金融緩和に期待していたのもあり、高目放置は批判的な声が投げられます。国内経済が衰えてきたのもあり、1986年頃には公定歩合の引き下げが行われました。

なお公定歩合とは、日銀が民間銀行に貸付けを行うときに設定される金利のことです。今では「基準割引率および基準貸付利率」の名称が使われています。

金融緩和が長期的に続くと多くの投資家が予想したことで、株や不動産に投機する人が急増加します。その結果株価や不動産価格がグングンと高まり、バブル経済が誕生しました。

交易条件が改善された

日銀の金融政策のみならず、バブル経済が誕生した要因には交易条件の改善も挙げられます。そのきっかけとなったのが、原油価格の下落です。

日本は安価で原油を輸入できるようになり、経済においても良い効果を発揮したのではと考えられています。しかしこのような交易条件の改善も、あくまで外生的な要因です。

これを日本の経済成長のおかげと考えてしまったことが、長らく不況に陥った原因であるという見方もあります。

 

 

バブル経済で何が起きた

バブル経済の頃は景気が良かったといわれるものの、実際に日本ではどのような変化があったのでしょうか。ここでは、バブルが日本に与えたものを解説します。

地価や住宅価格の高騰

バブル経済は、地価や住宅価格の高騰をもたらしました。第二次世界大戦から地価がグングンと上がったことから、土地神話(地価は永遠に上昇し続ける)が信じられていたそうです。

地価と一緒に住宅価格も高騰を見せ、マイホームを購入するのが当たり前となりました。借金してまで不動産に投資するのが常態化し、親と子の二世代に渡って返済する二世代ローンまで登場します。

こうした背景もあり、若いうちに小さな物件を購入してどんどん大きいものに住み替えていく住宅すごろくも主流になりました。

今もマイホームに憧れを持つ人が多いのは、バブル経済の頃の名残も少なからずあるでしょう。

相続税も大きく膨れ上がる人も増え、資産とともに負担もどんどん大きくなりました。

有効求人倍率の増加

バブル経済は、国民の就職状況にも良い影響を与えたとされています。企業が積極的に人員を募集するようになり、有効求人倍率は驚異の2.86まで上昇しました

なお2023年時点での有効求人倍率は1.36です。バブル経済期の頃、企業がいかに就業者を欲していたかが見て取れるでしょう。

就職売り手市場の頃は、多くの企業が大卒者は高卒者に募集をかけていたようです。就職難を経験した方からすれば、バブル経済を羨ましく思うのは無理もありません。

地上げが社会問題になる

バブル経済がもたらしたのは、社会にとって良い要素だけではありませんでした。地価が高騰したことで、地上げ屋が数多く現れるようになります。

地上げ屋とは、大手不動産業者と結託した不動産仲介人のことです。バブル経済期は反社会的組織も深く関わっており、恫喝や詐欺で無理やり土地を購入させるのが問題となりました。

やり方もまた非常に悪質なものであり、営業中の店舗にダンプカーを突っ込ませたり、木造家屋に放火したりと卑劣な行為を繰り返しました。

地上げ屋が原因で、死に追いやられた被害者もいます。このようにバブル経済は、必ずしも良い側面だけがあるわけではないようです。

こうした問題を背景に、1992年には暴力団対策法が施行されます。

 

 

バブル崩壊の原因

日本がバブル崩壊を引き起こした原因は、一つには特定できません。さまざまな要素が絡み合った結果、招いた悲劇といえるでしょう。ここでは、そのなかでも見逃すことができない原因を紹介します。

日銀による金融引き締め

バブル崩壊を招いた直接的な原因は、1989年頃の日銀による金融引き締めです。

株価や不動産価格は、金利にも大きな影響を与えます。そのメカニズムを簡単に説明しましょう。

一般的に金利が上がると、株価は下がりやすくなります。なぜなら金利が上昇した場合、預貯金や債券に対する需要が高くなるためです。

また利子が高くなる分、個人や企業もお金を借りにくくなるといった理由もあります。

好景気であれば話は別ですが、バブル経済のように実体のない状態では金融引き締めが不況を招いたスイッチになってしまったわけです。

この日銀による金融引き締めは、今も金融政策の失敗といわれています。2024年2月現在も株価は上昇していますが、金融引き締めの対応は慎重になったほうがいいでしょう。

総量規制が実施された

金融引き締めに加えて、今度は政府が1990年頃に総量規制を実施しました(第二次海部内閣)。総量規制は日本政府が、不動産に対する融資を制限させるために銀行へ発令した行政指導です。

この規制を出した狙いは、バブルの影響による不動産価格の高騰を抑えるためでした。

しかし銀行の貸し渋りが常態化し、不動産価格が下落するどころか不良債権の急増を招いてしまいます。最終的にはデフレーションに陥り、日本を失われた10年に突入しました。

 

バブル経済にはマクロ経済学で対処

バブル経済は一時的に好景気を呼ぶものの、政策が失敗すれば長期的な不況を起こすハイリスクハイリターンな状態です。

ただしバブルを起こすのが、必ずしも悪いとはいえません。やり方次第では、デフレーションから一瞬で脱却するほどのパワーを誇ります。

今の日本も、外生的な要因も相まって株価が大きく上昇しています。特にこのタイミングで中国の経済状況が悪化したのは、少なからず影響を与えているでしょう。

タイミングがいろいろと重なった点では、2024年2月の株価上昇も正直に言うと実体が伴っているとはいえません。

しかし株価が上昇すれば、大企業や株主を中心に経済的には潤います。あとはこの好景気を生かし、どう一般国民の実感に繋げていくかが重要です。

日本政府や日銀は過去のバブル崩壊の失敗を踏まえつつ、今こそマクロ経済学の基礎を振り返る必要があります。