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壬申の乱をわかりやすく解説!天武天皇が即位した背景について

古代の日本史において、極めて重要な事件の一つが壬申の乱です。天皇による後継ぎ問題がどんどん深刻化し、やがて戦乱にまで発展する事態となりました。

この記事では、壬申の乱についてわかりやすく解説します。重要人物の一人である、天武天皇が即位した背景についても詳しく紹介しましょう。

◆この記事でわかること◆
・壬申の乱の要因に関する見解3つ
・壬申の乱の具体的な内容と結果

 

 

壬申の乱とは

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壬申の乱は、天皇家の後継ぎ問題をきっかけに大きな騒動へつながった事件です。

大化の改新で蘇我氏が滅んだあとは、天智天皇(中大兄皇子)が即位していました。しかし、天智天皇が病に倒れてしまい、次の天皇の候補として大友皇子(天智天皇の子)に実権を握らせる進みになります。

当初の予定どおり、天智天皇が崩御したあとの引き継ぎは大友皇子が担いました。しかし、この動きを面白く思わなかったのが大海人皇子(天智天皇の弟)です。

不満を募らせた大海人皇子が兵を起こし、最終的には大規模な争いへと発展します。

 

壬申の乱に発展した原因

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壬申の乱が起こった原因は、単純に大友皇子に不満を抱いていただけではありません。その背景には、さまざまな歴史的な要因が隠れています。

ここでは、壬申の乱に繋がった要因を詳しく解説しましょう。

天智天皇の専制が要因

壬申の乱には、天智天皇の専制政治に抗うべく騒動を起こしたと捉える考え方があります。。

天智天皇は、元々中大兄皇子として政治に携わっていました。あるとき蘇我氏を排除すべく、中臣鎌足とともにクーデターを企てます。このクーデターこそが乙巳の変です。

その後、大兄皇子は中臣鎌足と専制政治を続け、天皇よりも力を持つようになります。天智天皇として即位したあとも、専制政治の様子は一切変わりませんでした。

とうとう大友皇子に実権を握らせようとしたのを見て、大海人皇子は不満を爆発させたと考えられています。

白村江の戦いの敗北

壬申の乱では、白村江の戦いも絡んでいるといった見方もあります。白村江の戦いとは、大化の改新後に起こった「日本・百済と唐・新羅の戦い」です。

唐の朝鮮半島の支配が進み、百済もほとんど降伏している状態でした。崩壊の危機に直面した百済を助けようと、親交の深かった日本は唐と新羅に挑みます。

しかし、当初の日本は戦いに慣れておらず大敗を喫してしまいました

この大敗を機に、天智天皇は国の改革を推し進めます。日本を強くする意味では理に適っていたものの、急な改革によって人々の混乱も引き起こしました。

こうした天智天皇の方針に納得が行かず、大海人皇子の反乱に繋がったとも考えられています。

ちなみに、天智天皇の改革の一つには遣唐使もありました。しかし、大海人皇子(天武天皇)の時代には、遣唐使を廃止したことも根拠とされています。

女性を巡る仲違い

ほかにも、女性を巡って天智天皇と大海人皇子の仲がこじれたとする考えもあります。この説の根拠となっているのが、万葉集の和歌です。

両者が狙っていた女性の名前は額田王であり、後に天武天皇の妃となる方です。その額田王に関する和歌の内容から、天智天皇と大海人皇子の仲違いがあったのではと推測されています。

 

 

結果は反乱側が勝利

壬申の乱は、反乱を起こした側である大海人皇子が勝利しました

基本的に、日本史は反乱を起こす側が負けるのがほとんどです。この法則を破った点で、壬申の乱は極めて珍しい騒動として語られています。

戦いの準備段階

大友皇子に実権が譲られたあと、大海人皇子は近畿地方を中心に各豪族を仲間に引き入れました。兵の数もどんどん多くなり、二手に分かれて大友皇子を攻めます。

一方で、大友皇子は会議を開くものの、朝廷の体制がそもそも整っていませんでした。最終的には農民の兵しか組織できず、明らかに兵力の差が出てしまいます。

当然「このままでは負ける」と使者に増員を請うよう頼むものの、ことごとく大海人皇子の妨害に遭っていました

その状態でも、近江(滋賀)から兵は集まりますが、内部の揉め事により崩壊します。

戦いの結果とその後

上記のように大友皇子は、朝廷のチームワークも相まって軍をコントロールできませんでした。意外にも善戦はしましたが、最終的には大海人皇子の快進撃によって敗れます。

追い詰められた大友皇子は、最終的に自害を選びました。大海人皇子は天武天皇として実権を握り、中央集権国家に向けてさまざまな改革を実行しました。

 

壬申の乱のまとめ

この記事では、壬申の乱についてわかりやすく解説しました。壬申の乱は、大海人皇子と大友皇子による天皇の継承問題から発展した戦乱です。

争いに繋がった要因には、さまざまな背景があると考えられています。

なお、こちらの騒動は反乱軍が勝利を収めた極めて珍しい事例です。その意味でも、日本史においては類を見ないものとして知られています。

争いの内容を事細かく押さえる必要はないものの、天武天皇が即位した背景を知るうえでは目を通しておいて損はありません。

できる限り深い内容も知りながら、歴史の知識をしっかりと身に付けましょう。