どーも、青二才ヤマトノです。
先日、散髪しに床屋へ行きましたが、そこで高校生の勉強の話になりました。
高校卒業間近のお子さんがいるようですが、どうやら高校3年生になって勉強の面白さに気づいたようです。
僕と同じですね笑
いや、僕より気付くのは早かったか!
僕も高校の勉強が1つも面白くなくて、努力をせずに成績はガタ落ちでした。
お陰様で大学は滑り止めまで落ちる悲惨な結果になりましたが、勉強を見直すことで公務員試験なら突破できる学力は身につきました。
今回は、大人になってからの勉強の大切さを書いていきます。
1.勉強における勘違い
以前も似たような内容で記事を書かせていただきました。
そのおさらいをすると、勉強は学生がするものという考えは間違っています。
資本主義の日本において、より充実した生活を送るためには勉強は欠かせません。
仕事も基本的には勉強の毎日が本来理想的な形だと思います。
また、仕事だけではなく、趣味やボランティア活動等も勉強は必ず付随されるものです。
我々が一生涯にわたって、日々学習していくことを生涯学習と言います。
これはポール・ラングランが1965年に提唱して世界各国に浸透するようになりました。
2.勉強の基礎を作るために
一般的に言われている勉強の基礎は義務教育の範囲で学ぶものです。
教育は憲法26条で等しく受ける権利があり、保護者は子どもに教育を受けさせる義務があると示されています。
つまり、小学校や中学校といった義務教育は原則として必ず子どもに受けさせなければなりません。
これは、納税や勤労と並んで国民の三代義務として課せられています。
ただし、家庭あるいは学校の環境によって、小中学校に通えないという事態も少なくありません。
憲法26条が言う、普通教育を受ける権利は実質的に果たされているかというと、素直に頷き難い部分は結構あります。
だからこそ、大人になった方でも気軽に勉強できる環境作りは必要だと考えます。
レールから外れることを良しとしない風潮がありますが、人間過去をやり直すことはできません。
それも、環境面で仕方なく外れざるを得なかった方々にとっては、見放されてしまうような状態に陥るでしょう。
義務教育の内容は時が過ぎてもきちんと学べるようにしていかなければならないです。
そこで自信を付けたら、より高い教育を目指しても本来は良いはずなんですけどね。
3.社会人の大学進学率
と、ここまで書いていくと、勉強至上主義みたいな印象を受けるかもしれませんが、僕は必ずしも大学に行かなければならないということは無いと思います。
義務教育は受けるべきだと感じますが、それ以降の教育については価値観次第です。
ただ、何も目指すものが無いなら、一通り進学した方が良いんじゃないかとは思いますけど。
この考えとは反対に、勉強が嫌で就職したものの、やはり学問をやってみたいと考えることもあるでしょう。
しかし、日本は欧米諸国と比べると、25歳以上の進学率は2.4%とかなり低い数値となっています。(欧米諸国は10%前後を推移:2017年データ参考)
この原因として挙げられるのが、学費です。
今では、社会人でも大学の学費は個人で支払わなければならず、企業が補償として幾らか肩代わりできるような体制はあまり多く採られていません。
国からの補償には、一般教育訓練給付金や専門教育訓練給付金等がありますが、学部によっては支給対象外になることもあり得ます。
まだまだ社会人の学び直しができる環境を整備されているとは言えません。
では、大学の無償化を進めれば良いのでしょうか?
個人的に無償化はある条件が必要だと思います。
4.大学の無償化
2020年4月、低所得者等を対象に大学の無償化が始まりました。
正直、この制度に関してはあまり賛成できませんでした。
僕が反対した理由は
- 恩恵を受けない方の負担が増える
- 無償のワナ
の2点です。
恩恵を受けない方の負担が増える
これは正直賛否両論あると思いますが、消費税が10%に底上げされたのは社会保障費と教育費に充てるためです。
幼児教育の無償化なども消費税10%の恩恵と言えます。
幼児教育の無償化と大学の無償化が抱える問題は異なっていると個人的に考えますが、、
幼児教育の無償化は、通常保育であれば所得関係なく保育料が無償となりました。
ただ、この制度が始まる前は、実質低所得者等は保育料が無償となる家庭も多数ありました。
つまり、無償化が導入される以前と以後で、低所得者等世帯はあまり恩恵を得られていないんですね。
それなのに、消費税は10%に引き上げられるという点で負担の方が大きくなってしまったと考えられるかなと思います。
大学無償化は反対に、低所得者等世帯に当たらない人は変わらず学費を払うので、やはり恩恵を受けられてはいないんですね。
そうなると、なぜ他人のために消費税を多く払わなくてはならなくなったんだろうと、疑問に思う方が増えてもおかしくはないのかなと個人的に感じます。
無償のワナ
さらに、無償のワナも個人的には問題だと思っています。
僕が大学で必死こいて勉強したきっかけは、膨大な学費を払ってもらった罪滅ぼしでした。
弟と妹がいる中で、己の勉強不足で学費の高い大学に行ったため、その期間は家計がかなり圧迫しました。
その謝罪の意で、僕は死ぬ気で勉強していたというのは正直ありましたね。(そこから純粋に学問が楽しくなっていきました)
よく偉いと言われますがそんなことはなく、高校時代にきちんと勉強していれば、せめて無利子の奨学金は最初から貰えていたわけですから。
有利子しか借りれないと言われたところで、必死こいて勉強し、何とか無利子の学費を借りてからは少し落ち着いてきました。
このように自ら学ぶことができるのは、それ相応の犠牲や目標があるからだと思います。
本当に必死になって目標を達成しようと頑張る方は心配無いですが、そうでない方は無償化に甘えて遊び惚ける危険もあるのかなと感じます。
成果主義は可哀想な気もしますが、ある程度は成績上位者、せめて全講義に出席する方のみ無償化の対象にする方が良いのではと個人的に考えます。
5.社会人が勉強しやすいように
さて、意図したとはいえ、チャプター4で話が大きく逸れてしまったので、本題に移りましょう。
どうやったら、社会人が働きながら大学進学を目指せるか?
それは、学び直しという文化の構築が必要になります。
海外諸国では、学び直しが一般的であるのに対し、日本ではそこまで根付いているわけではありません。
前半部分までは、あくまでストレートで大学進学できなかった方への配慮という意味で書いていますが、実際は大学に2回以上通っても良いわけです。
僕は教育学を専攻していましたが、もう一度入るのであれば法学か心理学のコースに進んでみたいですね。
文化や流行となると、補償もまた手厚くなる可能性はあります。
チャプター4でも述べましたが、せめて全講義に出席(仕事でどうしてもという場合を除く)などという条件をクリアすれば、積極的に無償化へ取り組んでも良いのかもしれません。
諸々多くの課題等が残りますが、まずは学び直しをする方が当然現れる社会になることが先決です。
そういう意味でも、下手な偏見は捨てて、学び直しをする方を応援する社会にしていきたいですね。