どーも、青二才ヤマトノです。
前回はこのような記事を書かせていただきました。
褒められ依存についての考え方ですね。
褒め方にも良い褒め方と危険な褒め方の2通りありますよというお話です。
今回は少し話を発展させて、指導者が子どもとどう接するかを書いてみたいと思います。
【1.指導者の資格】
最近は、パワハラや体罰問題から、スポーツの指導者になるための資格制度や講習会などが実施されるようになりました。
僕が度々このブログで紹介しているドッジボールにおいても、指導者講習会が実施されています。
公式ドッジボールの指導者資格は大きく分けて
- JDBA準指導員(区分I)
- JDBA公認準指導員(区分II)
- JDBA公認指導員
の3パターンがあります。
集合学習①と②でドッジボールの導入指導と基礎指導講習を受ければ区分I、
集合学習③と④の規則及び専門理論講習、実習を受ければ区分II、
区分IIに加えてスポーツリーダー資格や他競技のスポーツ指導員資格を持っていればJDBA公認指導員として認められ、ドッジボールコーチ1として認められます。
公式ドッジボールでは2017年に導入された制度で、2019年からはベンチの全員がこの資格を持たなければならなくなりました。
講習自体はそこまで難しいものではないと思いますが、いかんせん僕もこの制度が導入された頃にはコーチを辞めているので、正直概要は詳しく分かりません。
肝心なところで役に立たなくて申し訳ないのですが、ドッジ未経験者でも問題なくクリアはしているかと思います。
【2.子どもとの接し方】
ここで書くのは、あくまで指導者としての子どもとの接し方です。
僕の個人的な見解にはなりますが、コーチ時代に意識していたことは、必要以上に子どもの間に介入し過ぎないということでした。
あくまで客観的に子どもを評価するためでもあります。
実際のところ、大人と子どもの関係とはいえ、人と人との結びつきなので、得意や苦手は生じてしまいます。
ですが、それを評価の基にしてしまったら、エコ贔屓と何ら変わりません。
ある程度の線引きをして、特定の子に縋らないような配慮はしようと心がけていました。
全員平等に贔屓することなく、褒める時は褒めて怒る時は怒る。
素晴らしいものは素晴らしい、ダメなものはダメ。
それは、自チームのみならず、相手チームの選手に対しても同じです。
そのクセが出てしまって、ドッジ無関係のプライベートでも、落ちてるタバコで遊んでいた子どもに注意しましたが笑
下手したら不審者扱いされてしまうので、今後は少し気をつけようと思います。
【3.指導者も人間】
指導者をしていた頃、僕は子どもの見本にならなければと意識はしていました。
もちろん、それでも完全な模範になりきれず、僕自身ダメなところがたくさんあるので、まだまだ器としては未熟でした。
保護者の方から勉強させていただいたことも多々ありましたからね。
もしかすると、今も指導に悩んでいる方はたくさんいると思います。
青二才な僕の言葉でも、気持ち的にラクになるきっかけになればという意味で、書かせていただきます。
指導者も人間です。
ドラマのスクール☆ウォーズで好きな回を紹介します。(第9話)
主人公、滝沢先生は川浜高校ラグビー部顧問ですが、ある日理不尽な説教をしてしまい、部員が先生に猛反発しました。
先生は自信を喪失し、1人で飲みに出かけるとたまたまPTA会長(内田会長)とラグビー部に協力していたラーメン屋の店主(下田店主)に会います。(ラーメン屋の店主は後にキャプテンとなる部員の義理の兄にあたる)
実は川浜ラグビー部、先日の試合で109-0の大敗を喫していました。
内田会長は無様な試合と怒り心頭で、滝沢先生に飲みの場で怒ります。
その蓄積から滝沢先生は「自分がラグビーを教えてはダメだから辞める」と溢しますが、下田店主はそれを聞いて笑いました。
「優秀な先生も俺らと何も変わらない人間だと分かって安心した」と。
下田店主は続けて言います。
「先生は神様になろうとしているんじゃないですか?」
「何でも知り尽くした神様に。冗談じゃない、そんなのできるわけないんです。」
「良いじゃないですか。怒りたい時に怒って、殴りたい時に殴れば。それでもし自分が間違えていたことに気づけば、謝れば良いんですよ」
コンプライアンス的にアウトなセリフもありますが笑、要は指導者とて変わらず人間なんです。
間違いを犯さないわけがありません。
自分では完璧にやっているつもりでも、必ずどこかには綻び(ほころび)が生じます。
完璧を目指すと人間はチャレンジ精神を失ってしまいます。
完璧主義という言葉は意外と悪い結果を生み出しますからね。良い言葉のように聞こえますが。
ただでさえ正解の分からない業界なので、大船に乗ったつもりで自分が信じる道を進むと良いと思います。
間違いを認めたり、基本的なことを守れたりすれば、ある程度は開き直れる心も重要です。
指導者1人1人が今では宝なので、なるべく多くボランティアが集まれば良いなと感じます。
敢えて、ボランティアと書きましたが、元々の意味は「志願者」です。
ドッジボール指導者の大半は「志願者」ですからね。
ドッジボールを通して子どもたちに良い思い出を作ってあげようと励む志願者。
気に入らないことがあっても、まずはこの意味を考えていければ、指導者の見方もまた変わってくるかもしれません。
子どもも保護者も指導者も。
三種が揃って初めてチームです。