皆さんも日本史の勉強をする中で、楽市楽座という言葉は聞いたことがあるはずです。しかしどのような政策かがイマイチわからない方も少なからずいるでしょう。
この記事では、楽市楽座がどのような政策かを中学生や高校生にもわかりやすく解説します。日本史を勉強されている方は、ぜひ最後まで読んでみてください。
また中学生や高校生は、教科書以外にも以下のテキストで日本史を勉強することをおすすめします。こちらも併せて参考にしてください。
楽市楽座とは

楽市楽座とは、安土桃山時代に織田信長を中心とする戦国大名が、本格的に広めた経済政策として知られています。この政策によって人は自由に物を売買できるようになり、日本の経済にも良い影響を与えました。ここでは楽市楽座の仕組みを詳しく解説します。
楽市楽座の意味
楽市楽座をわかりやすく説明すると、誰もが自由に商品の売買ができる仕組みを指します。平安時代から室町時代にかけて、商品の売買は基本的に「座」で独占されていました。
しかし「座」が売買を独占する状況は、戦国大名にとってあまり望ましいものではありませんでした。座の仕組みを解説するとともに、独占が経済にどう悪影響を及ぼすかをわかりやすく解説します。
座=現代の商工組合
座とは、現代でいう商工組合を指します。元々は平安時代の末期に一部の地域で結成され、朝廷や寺院に対して税金を払い、その代わりに商業をする権利が与えられていました。
このように楽市楽座が作られる前は、座以外の人たちには商売が認められませんでした。なお「楽座」の「楽」の字は、「自由」「規制緩和」を意味します。つまり「座」による規制を緩和し、誰もが自由に売買する社会を示しているわけです。
商売が独占されていけない理由
一般的に商売が独占されると、経済の流れが悪くなる傾向にあります。その理由はライバルが現れず、お金や物品の巡りに偏りが生じるためです。
現代社会で考えると、たとえばA会社が携帯電話を販売していました。今では多くの人が持っている携帯電話ですが、仮に販売している会社が「A会社」のみと考えます。
A会社からすれば、より多くのお金を稼ぐために値段を高く設定できます。一般人にはとうてい買えない金額でも、金持ちの人に売れば問題なく収入を得られるからです。
しかしこの状態では、一般人が携帯電話を持つのは難しくなり、A会社も努力を怠ってしまいます。本当は部品が一部足りない商品でも、高値で売りつけるといった行為にもつながりやすくなるでしょう。
こうした状況を避けるには、ライバル企業と戦わせることが重要です。多くの人が市場に参入できるようになり、商売する側も努力が必要になるので、現代社会でも独占は禁じられています。
楽市楽座を作った人物
楽市楽座と聞くと、織田信長が作ったイメージを持っている人も少なからずいるでしょう。しかし織田信長は、楽市楽座を最初に作った人物ではありません。各戦国大名が、自分たちで独自の楽市楽座を作っています。
たとえば1549年には、六角定頼が近江国(現在の滋賀県)で楽市令を公布しました。織田信長が行ったのは1567年の話であるため、先駆者がいたことがわかります。
ほかにも駿河国(現在の静岡県)の今川氏、武蔵国(現在の東京都付近)の後北条氏も楽市楽座を作った大名の一つです。さらに江戸幕府を開いたことで有名な、徳川家康も楽市楽座を作った人物として知られています。
このように楽市楽座は、織田信長の専売特許ではありません。高校日本史でも織田信長だけではなく、「戦国大名が発令した」などと書かれているはずなので、一度教科書をチェックしてみてください。
楽市楽座のねらい
楽市楽座の一番の目的は経済発展です。しかし戦国大名たちは、なぜ経済発展に力を入れる必要があったのでしょうか。ここでは、楽市楽座の狙いについて解説します。
戦に使うお金を集めるため
皆さんもご存知のとおり、戦国時代は日本各地で戦乱がぼっ発していた時代です。しかし戦をするには、武器や食料を揃えなければなりません。そこで物品を集めやすくするため、多くの人に商売してもらう必要がありました。
特に1543年には、ポルトガル人が種子島へ鉄砲を伝えに来ています。こうした最新武器を手に入れるうえでは、商人の数を増やしたほうが手っ取り早いといえます。
日本史の明治時代を勉強する際、皆さんも「富国強兵」という用語を習うはずです。この用語は、国を豊かにして兵の強化を図るといった意味があります。要するに戦を有利に進めるべく、経済政策に力を入れるのはすべての時代で共通しているわけです。

国を豊かにするには、皆が買い物をする社会が必要!
城下町の人口を増やすため
戦国時代の大名は、基本的に各々が「城」を持ちます。城の周辺に形成される町を城下町と呼び、当時はそこに人々が住んでいました。ゲーム作品のゼルダの伝説やドラクエにも城下町が出てくるので、ゲーム好きな方はイメージしやすいかもしれません。
楽市楽座の狙いの一つとして、城下町の人口を増やすといった目的もありました。人口を増やすメリットは、税収や兵の数が向上することです。
物がない時代、食料や日用品を城下町に集結させれば、自ずと人は集まってきます。そこで住民に対して税金を課すことで、効率よく税収を増やせるようになります。
また戦を有利に進めるには、できる限り兵の数を増やさないといけません。こうした目的を達成させるべく、楽市楽座が積極的に採用されました。
仏教勢力を抑えるため
こちらは織田信長や徳川家康と限られるのですが、楽市楽座には仏教勢力を抑える目的もありました。特に織田信長は、後に比叡山延暦寺を焼き払ったり、石山本願寺を降伏させたりした経歴もあります。
戦国時代の頃、これまでの荘園や税制によって寺院を中心とする仏教勢力は、大きな経済力を持っていました。経済力は権力にもつながり、実際に寺院らが戦国大名に口出しするケースも少なからずあったのです。
織田信長や徳川家康は仏教勢力を煩わしく思っており、弾圧したいと考えるようになります。こうした考え方も、楽市楽座が普及した要因の一つです。
楽市楽座のまとめ
楽市楽座は、各地の戦国大名が打ち出した経済政策です。織田信長も発令した一人であるものの、先駆者ではないので勉強する際には注意してください。
中学や高校の公民では、経済の分野で独占禁止法という用語を習います。独占禁止法の考え方も、楽市楽座に近い部分があります。社会の勉強においては、異なる分野でも共通点を押さえることが大切です。
経済政策の強化は、戦国大名が力をつけるきっかけにも直結します。武器や人員を増やす目的と関連づければ、楽市楽座の狙いも覚えやすくなるでしょう。本ブログでは、高校日本史の記事も取り上げていくので、ぜひほかの記事も読んでみてください。