中学生でも習う日本史の有名な戦乱として、桶狭間の戦いがあります。主に織田信長と今川義元による戦乱ですが、織田軍がかなり苦戦した戦として知られています。
この記事では、桶狭間の戦いで織田信長がなぜ勝てたかをわかりやすく解説します。日本史を勉強されている方は、ぜひ本記事を参考にしてみてください。
桶狭間の戦いとは
桶狭間の戦いは、1560年に織田信長が今川義元と争った戦乱です。「雨が降ったから織田信長が勝てた」とイメージしている人も多いでしょう。ここでは、桶狭間の戦いが始まった背景について詳しく解説します。
桶狭間の戦いが始まった理由
ときは戦国時代、どの地方も領土を広げようと日本各地で争いが繰り広げられていました。特に織田信長は、全国統一を目標に掲げて動きを進めていました。織田家は1555年に守護代から清洲城を奪取し、尾張(現在の愛知県)の統一に成功します。
一方で尾張の隣にある駿河国(現在の静岡県)では、今川義元が領土拡大を狙っていました。様子をうかがっていたところ、織田信秀(信長の父)が亡くなり、その息子(信長)が尾張を支配していることを知ります。
そのため今川義元は今が侵略のベストタイミングだと考え、尾張に攻め込みました。今川義元からの侵略を防ぐべく、桶狭間の戦いが始まります。
桶狭間の戦いの特徴
桶狭間の戦いで押さえてほしいポイントは、徳川家康が今川義元軍にいたことです。つまり当時は、徳川家康と織田信長は敵同士だったといえます。
また織田軍と今川軍では、兵力に差がありすぎたことも特徴の一つです。織田軍はわずか2,000人しかいなかったのに対し、今川軍は25,000人の軍団を作っていたといわれています。
約12.5倍の兵力差があったにもかかわらず、織田信長は見事桶狭間の戦いで勝利を収めました。高校日本史ではここまで習わないものの、ある程度背景を知っておいたほうが理解しやすくなります。
桶狭間の戦いの内容
織田信長は約12.5倍の兵力差のなかで、見事勝利を収めることができました。桶狭間の戦いがどのように進んでいったのか、当時の状況をわかりやすく解説します。
序盤は今川軍が優勢
織田軍が今川軍に対し勝負を仕掛けましたが、はじめは大軍を率いた今川義元に太刀打ちできませんでした。力のある武将は次々と討ち死にしてしまい、今川軍は織田軍の砦を順調に破ります。
その快進撃は、今川義元にとっても心が躍るくらい手応えのある出来でした。資料(信長公記)によると、今川義元は桶狭間山に陣を築き、そこで能楽の謡曲を歌っていたといわれています。
豪雨の中の奇襲
今川義元が勝利に酔いしれているなか、突然豪雨が降ってきました。雨の中に雹(ひょう)も混じっていたようで、視界がかなり悪くなっていたと考えられています。
この天候の変化を織田信長はチャンスと思い、今川軍の本陣へ一気に攻め込みました(雨が止んでから攻め込んだと分析する人もいる)。
突然の織田軍の奇襲に対し、今川義元はなすすべなく慌てふためきます。特に今川義元は兵士を分散させて守らせていたため、守備が手薄になっていた点も奇襲の効果が大きかったポイントの一つです。
今川義元の死亡
織田信長の出現に驚いた今川義元は、約300人ほどの家来を引き連れて本陣からの脱出を試みます。しかし織田信長が執拗に追いかけ、道中で少しずつ家来を失ってしまいました。
とうとう追い詰められた今川義元は、自ら刀を引き抜いて戦おうとします。しかしこの状況で勝てるわけはなく、首を斬られてしまいました。大将が亡くなった今川軍は、そのまま織田軍に敗れました。
桶狭間の戦いの影響
桶狭間の戦いにより、当時の日本にはさまざまな変化が訪れていきます。どのような変化が生じたか、当時の情勢をわかりやすく説明します。
上杉氏の力が強くなった
生前の今川義元(駿河)は、北条氏康(相模)や武田信玄(甲斐)と同盟を結んでいました。当該同盟はそれぞれの拠点の頭文字を取り、甲相駿三国同盟と呼ばれています。
この同盟の一角である今川義元が敗れたことで、彼らと敵対していた上杉謙信の力が強くなりました。特に上杉謙信が関東に遠征した、小田原の戦いが有名ですね。
小田原の戦い以後も、武田信玄と第4次川中島の戦いで対決します。川中島の戦いについては、以下の記事でわかりやすく解説しているので、併せて参考にしてください。
川中島の戦いとは?武田信玄と上杉謙信の争いを詳しく解説 - 【資格の教室】ヤマトノ塾
織田氏と武田氏の親交が深まった
桶狭間の戦いで今川氏が敗れたことで、織田氏と武田氏の親交が深まりました。事の発端は、武田氏が今川氏滅亡のタイミングを狙って、駿河を攻めたからでした。
物理的に織田氏と武田氏の距離が縮まり、さらに織田信長の養女を武田勝頼の嫁にしました。こうして両家の仲は良くなり、強い関係で結ばれるようになります。
しかし室町幕府15代将軍の足利義昭が織田信長と敵対し、武田信玄が義昭側に付きました。武田氏が足利氏に付いたことで、織田信長と武田勝頼の関係も嫌悪になります。
室町幕府が滅ぼされたあと、双方は長篠の戦いでぶつかりました。以上を整理すれば「桶狭間の戦い、室町幕府の滅亡、長篠の戦い」の順で、戦乱が発生したと覚えられるはずです。
桶狭間の戦いを勉強するには
桶狭間の戦いは、中学生でも習う有名な戦乱です。しかし学校ではあまり触れられないため、いまいちイメージしにくいと感じる人も多いでしょう。
そのため桶狭間の戦いを勉強するには、本やゲームを使うという方法もあります。もちろんゲームは、必ずしも正史に沿ってるわけではないので、正しい知識を得られるとは限りません。
個人的には、以下の本やゲームで歴史に慣れておくのをおすすめします。遊びと思うかもしれませんが、歴史が好きになることが大切です。歴史に苦手意識を持っている方は、ぜひ試してみてください。
桶狭間の戦いのまとめ
桶狭間の戦いは、明らかに今川義元が有利な状態でスタートした戦乱でした。しかし織田信長が、たった一度ともいえるチャンスを活かして勝利したのがポイントです。
学校の授業では深く習わないと思いますが、桶狭間の戦いは上杉氏の躍進や織田氏・武田氏の関係にも大きく寄与しています。歴史好きの方は、必ず押さえておいたほうがよいでしょう。