世界史において、産業革命が現代社会へつながる転換期となっています。しかしなぜ革命が起こったのか、詳しいきっかけを知らない方もいるでしょう。
この記事では、産業革命のきっかけや世界への影響をわかりやすく解説します。世界史を勉強している方は、当時の社会体制をしっかりと押さえてください。
産業革命とは
産業革命とは、イギリスで起こった工業社会へ転換する革命のことです。機械が積極的に導入され、国全体の製品の生産力が飛躍的に向上しました。イギリスの産業革命は、世界的に見ても多大な影響を与えています。
一方で産業革命には、労働力が機械に置き換わったため、失業を招くといった負の側面もあります。また機械化が進んだはいいものの、工場排水や温室効果ガスなどによる環境悪化も招きました。
産業革命のきっかけ
長い歴史を見ると、社会が発展するには農業の進化を経るのがセオリーとなっています。産業革命も例外ではなく、農業の進化がきっかけとなって起こりました。
ここではイギリスでなぜ産業革命が起きたのか、その背景をわかりやすく解説します。
七年戦争に勝利した
1756年のヨーロッパでは、プロイセン(現在のドイツ)とオーストリアが力を伸ばしていました。プロイセンはフリードリヒ=ヴィルベルム1世のもとで、軍国主義を確立します。
さらにフリードリヒ2世が即位すると、オーストリア継承戦争にてシュレジエンを獲得しました。7年戦争はオーストリアのハプスブルク家が、シュレジエンをプロイセンから奪い返そうとして始まります。
しかし7年戦争は規模が大きくなり、イギリスやフランスも植民地を巡って参加しました。イギリスはフランスの植民地であった北アメリカを攻撃し、最終的には北アメリカに加えて、インドも支配するようになります。
この影響により、産業革命だけではなくアヘン戦争につながったことも有名は話です。イギリスは植民地で奴隷貿易を展開し、西アフリカやカリブ海周辺と三角貿易を結び、産業革命につながる資金を獲得しました。
農業革命に成功した
イギリスは第二次囲い込みの効果もあり、いち早く農業革命が起こりました。第二次囲い込みとは、一部の農民から農地を取り上げ、ノーフォーク農法を導入した制度です。
ノーフォーク農法では、冬に家畜用のエサである「カブ」を栽培していました。こうした過程の中で、イギリスでは農業の改良がどんどん進んでいきます。
一方でイギリス西部は土地が肥沃ではなく、手工業が一般的に栄えました。毛織物業を筆頭にマニュファクチュアが確立し、工業を支える柱となります。
イギリスで綿工業が栄えた
イギリスの産業革命を支えた産業となったのが綿工業です。三角貿易を結ぶ中で、イギリスはアフリカに対して綿布を輸出しました。
一方でカリブ海からの輸入品として、綿花も含まれています。そこで綿布・綿織物を中心にイギリスでは工業化が著しく発展しました。
綿工業から生まれた技術革新は、毛織物工業にも反映されていきます。アメリカやカリブ海周辺では、現地の人を奴隷として利用し、綿花栽培に従事させました。

産業が発達する中で、農業技術の成長は欠かせない!
産業革命で生まれた発明品
産業革命により、イギリスではさまざまな発明品が登場しました。ここでは、それぞれの用途と発明された経緯について解説していきます。
ケイの飛び杼
ジョン=ケイは、1733年に飛び杼を発明しました。こちらの道具にはローラーが付いており、たて糸によこ糸をくぐらせる機能を持ちます。
あまりにも簡単に綿布を作れるようになったため、イギリスでは綿糸が足りなくなりました。そこで綿糸を大量に生産すべく、紡績機が次々と発明されます。
紡績機
イギリスで起こった綿糸不足に対応しようと、次々に紡績機が誕生します。まず最初に作られたのは、ハーグリーヴズによるジェニー紡績機です。
ジェニー紡績機の特徴として、1人で8本の綿糸を製造できた点が挙げられます。さらにアークライトが水力紡績機を発明し、太い綿糸がより頑丈になりました。
このジェニー紡績機と水力紡績機の長所を合わせた紡績機が、クロンプトンにより発明されたミュール紡績機です。ミュール紡績機によって、細くて丈夫な糸を作れるようになりましたが、依然として手作業が必要でした。
なお高校世界史では習いませんが、1830年頃にリチャード・ロバーツが自動のミュール紡績機を手掛けます。日本にもやがて輸入され、世界的に活躍しました。
カートライトの力織機
1785年、カートライトは綿糸を余分に生産するため力織機を発明しました。力織機には蒸気機関が採用されており、手動ではなく機械動力で生産できるのがポイントです。
1人で複数の綿布や綿織物を作れるようになったため、生産の効率が大幅にアップします。また産業革命以降も、力織機は電気モーターを導入されるなどと進化を続けています。
ワットの蒸気機関
産業革命における機器では、ワットの蒸気機関も有名です。元々蒸気機関は発明されていましたが、ワットは炭坑に使用していたニューコメン型機関を改良しました。
ニューコメン型機関は、一つのシリンダーに蒸気を閉じ込めて、加熱と冷却を繰り返す仕組みです。加熱と冷却の双方で燃料を必要としたため、効率よくエネルギーを生み出せなかったというデメリットもありました。
そこでワットは、蒸気をシリンダーに閉じ込めないで凝縮器へ移すように改良します。こうして燃料を多く使わず、エネルギーを生み出す蒸気機関が作られました。
産業革命がもたらした効果
産業革命は、イギリス国内にさまざまな良い効果をもたらしました。ここでは、具体的にイギリス国内で起こった良い変化に焦点を当てて解説します。
国の産業が著しく成長した
産業革命がもたらした主な効果は、イギリスの産業が著しく成長したことです。特に蒸気機関の改良は、鉄道の誕生にもつながっています。
仕事の効率が上がっただけではなく、生活面においても利便性が向上しました。世界史全体を見るうえでも、産業革命以降は「近代」として区別されます。
人々の娯楽が増えた
産業革命の初期は低賃金かつ長時間労働を強いられ、酷使されてきたことが問題となりました。そこで政府は工場法を改善し、明確な労働時間を決めるようになります。
これまでは農業社会により、生活と労働が一体となっていました。産業革命によって農業社会から工業社会に変わり、人々の生活に「余暇」が生まれます。
余暇が生まれたことで、ハブでお酒を飲むなどの娯楽も誕生しました。舞台や映画といった娯楽ができたのも、産業革命の影響が大きいでしょう。
読み書きスキルが向上した
人々の読み書きのスキルが向上したことも、産業革命がもたらした効果の一つです。労働者を工場で働かせるには、機械の操作方法などのマニュアルを作らないといけません。
したがって工業化が進む中で、人々は必然的に文字を覚える必要がありました。文字の教育が普及したため、国内全体での識字率も向上したと考えられています。
女性の地位に影響を与えた
産業革命によって、女性の地位にも少なからず影響を与えました。これまでのイギリスは家父長主義の影響もあり、女性は家庭で家事や育児をするのが主流でした。
しかし生産方法が機械に置き換わると、必ずしも男性を雇う必要がなくなりました。もちろん女性は男性よりも賃金が低かったため、一概に地位が向上したとはいえません。
一方で女性にも職業選択の自由が生まれたため、家庭に入るべきといった考え方は崩壊しました。現代では女性の社会進出が重視されていますが、そのはじまりは産業革命だといえます。
産業革命の世界への影響
イギリスの産業革命は、世界にもさまざまな影響を及ぼしました。ここでは代表的な国を挙げて、どのような変化が起こったのかを解説します。
日本で殖産興業政策を実施
まずイギリスの産業革命による影響を受けた国の一つが、日本です。日本では政府が殖産興業政策を実施し、綿織物工業を中心に発展していきます。
ただし日本の場合、影響を受けたのは1890年頃であり、ほかの国と比べたら少々遅れました。遅れた理由は、鎖国によって一部を除いて海外と交流していなかったためです。
さらに日本では日清戦争に勝利し、賠償金を使って国が発展した背景もあります。こういった歴史もあり、現代の日本はGDPランキングでも上位を獲得しています。
ベルギーやフランスの繊維産業
イギリスの産業革命の影響をいち早く吸収できたのは、ベルギーやフランスです。双方は、主に繊維産業に力を入れて産業革命が起こりました。
当時のベルギーは南ネーデルラントとしてオランダの支配下にありましたが、1830年に独立を果たします。その際に石炭や鉄鉱石といった豊富な資源に加え、イギリスの支援もあって工業が成長していきました。
一方のフランスも、1830年頃から本格的な産業革命が起こります。18世紀の段階では英仏通商条約により、大量のイギリス製品を輸入せざるを得ませんでした。
またフランス革命で国が混乱していたのもあり、産業を抜本的に成長させるタイミングを逃しています。しかしフランス革命で農民たちが力を持つようになると、絹織物を中心に成長していきました。
世界各地で南北問題が深刻化
産業革命の頃、イギリスらはアメリカ南部やアフリカ、アジアから原料や食料を供給していました。ヨーロッパは工業化に力を入れる中、原料や食料を供給していた国々は経済発展するタイミングを逃してしまいます。
こうしてイギリスの産業革命では、北半球(ヨーロッパ)と南半球(アフリカ・南アメリカなど)の経済格差を引き起こしました。この経済格差を南北問題と呼びます。
南半球の国々では、黒人を中心に奴隷となる人々も増えてしまいます。産業革命は、世界で格差が広がる問題も生み出していました。
産業革命のイギリスへの弊害
産業革命は南北問題だけではなく、イギリス国内にも弊害をもたらしました。具体的にどういった弊害があったのかを見ていきましょう。
人口増加と住宅環境の悪化
イギリスの労働では、元々徒弟制度が義務付けられていました。徒弟制度とは働くときに親方の弟子となり、訓練によって技術を身につける制度のことです。
しかし機械化によって誰もが作業をできるようになると、スラムの女性に低賃金で働かせるようになりました。そのため女性は早くから結婚し、都市の人口が増加します。
一方でイギリス社会では、人口増加に追いつけるほど住宅の環境は整っていませんでした。部屋は狭くて古びており、トイレさえも整備されてなかったようです。このように住宅環境は悪化し、人々の生活がどんどん悪くなっていきます。
長時間労働の一般化
労働の機械化が進めば、一つの作業における効率は良くなります。反面、一つの仕事が簡単に終えるため、人々は1日に多くの作業をこなさないといけません。
日本でも昭和時代の仕事は、資料を送るにはFAXか直接先方へ届けるのが主流でした。しかし令和の現代では、メール一つで送信が完了するため、昭和時代よりも仕事量が増えたとよく話題になります。
この原理が産業革命でも起こり、人々は1日に膨大な数の作業を強いられていました。後に工場法が整備されたのも、産業革命がもたらした過酷な労働環境が原因です。
農村社会でも貧困化
産業革命の問題は、しばしば都市部を中心に語られます。一方で農村地方においても、貧困化が進んでしまったのが実情でした。
当時のイギリスでは囲い込みにより、農民たちは共有の農地で労働を強いられます。自足自給の概念がなくなり、農業で家計を支えるのが難しくなりました。
こうして人々は「職」を求め、都市部に拠点を移していきます。結果的に農村地域では人口が減少し、過疎地域を多く作り出す要因にもなったわけです。
ラッダイト運動の深刻化
産業革命で徒弟制度が崩壊すると、親方たちは職を失ってしまいました。労働者たちは団結して改善を要求しますが、イギリス政府側は団結禁止法を打ち出します。
こうして労働者の怒りが頂点に達し、各地で勃発したのがラッダイト運動(機械打ちこわし運動)です。しかし1810年頃には、ラッダイト運動も衰退してしまいます。

経済成長しているのに貧困化が問題になるってどういうこと?

要するに経済格差が広がったの。資本家は金持ちだけど、労働者は低賃金で働かされていたから貧しかったんだ!
産業革命のまとめ
産業革命とは、イギリスが工業社会に切り替わるきっかけとなった社会変化です。イギリスの農業が飛躍的に進歩し、綿工業が発達したことが始まりでした。
工業社会へ移り変わる中で、多くの人々がさまざまな発明品を生み出しました。特に蒸気機関の発達は、仕事だけではなく生活面での利便性も向上させています。
しかし産業革命は、必ずしも良い効果だけをもたらしたわけではありません。労働者が職を機械に奪われたり、環境悪化を招いたりするといった負の側面もありました。
イギリスで起こった産業革命は、世界史全体で見ても大きな転換期といえます。この時代で誕生した資本や生活様式は、現代社会にも多大な影響を与えています。