どーも、ヤマトノです。
皆さんの中にも、理系と文系のどちらに進学するかで悩んだ方はいるでしょう。
高校から大学へ進学する際に、文系科目と理系科目の取捨選択は逃れられません。
ただ、学問の難易度や性質から「文系より理系の方が優れている」、終いには、「文系は必要ない」と言われることも少なくありません。
果たして、文系は本当に必要ない分野なのでしょうか?
最近は理系科目も独学で勉強している私が、文系の必要性について意見を述べます。
「文系は必要ない」は嘘
まず、結論からいうと僕は文系も大学に必要な学問であると考えています。
確かに文系は理系とは異なり、複雑な計算や公式を解く必要はないかもしれません。しかし、文系には文系なりの役割があります。
ここからは私見になりますが、文系が社会にとって必要ないと思わない理由を述べていきます。
文系が社会に必要な理由
では、文系はなぜ社会にとって必要な学問なのでしょうか。主に2つの理由があると考えています。
- 答えのない問題に対処するため
- 歴史は未来に欠かせないため
それぞれがどのような意味を持つのかについて解説しましょう。
答えのない問題に対処するため
理系科目の結論は、基本的に正解があるものが殆どです。
数学でも解は大抵決まっていますし、医学や電気工学にせよ科学的な考察をもとに過程や結果を絞っていきます。
そのため、理系科目は世の中に必要とされるものが多いです。直接的に実験などの結果を社会に反映できますからね。
一方で、文系の科目は抽象的な答えが少なくありません。
熟考すればするほど答えが見えなくなり、どの視点に立っているかが分かりにくくなります。
確かに、社会で注目を浴びるのは理系だと思います。そのあたりは否めません。
しかしながら、文系は歴史や社会構造、文学資料から『思想』を形成して人それぞれの答えを導けます。
理系の視点も必要不可欠ですが、文系の視点があるからこそ答えの出せない問題に太刀打ちできるのでしょう。
これが、大学や社会に文系が必要だと思う最たる理由です。
歴史は未来に欠かせないため
『人文科学』に偏った話ですが、我々は歴史から多くの反省点を生かす義務があります。
歴史にもさまざまな観点があります。
- 政治史
- 経済史
- 宗教史
- 地方史
- 教育史
このような幅広さが大きな特徴です。歴史は文系科目のみならず、以下のような理系科目にも応用できます。
- 医学史
- 科学史
- 数学史
加えて、社会をつくるためには地方史の必要性はバカにできません。
これはドラゴンクエストⅦのレブレサックという村のエピソードです。(ゲームの話でごめんなさい)
【ドラクエ7 3DS版】
【ドラクエ7 プレステ版】
昔々この村では、魔物によって人々が殺される事件が起こりました。人々は魔物に怯えていましたが、ある日1人の魔物が村にやってきます。
その魔物が村人を殺したに違いないと、人々は一致団結して処刑しようとしました。
ところが、魔物は全く抵抗しません。
実は魔物の正体はレブレサックの神父さんで、ボトクという魔物に村人を殺さないでくれと交渉した結果、自身を魔物の姿にする取引をしたのです。
そのような事情を村人は知らず、縄で縛り付けて殺そうとします。しかし、タイムスリップした主人公たちがボトクをやっつけて間一髪で神父の呪いを解きました。
主人公たちと一緒に行動していた村の少年であるルカスは、「この魔物はいい奴だ!」と訴えました。
それにもかかわらず、大人たちはそれを聞き入れようとしませんでした。(そればかりか主人公たちも含めて幽閉されてしまいます。抜け道からボトクと遭遇して目的を知り、バトルとなりました。)
大人たちは危うく神父を殺しそうになったのに対して責任を感じました。
一方で、翌朝神父は「自分がいると村人は罪悪感に苛まれる」と主人公とルカスに伝えて村を出ます。
長くなりましたが、問題はここからです。村人たちはこの反省を忘れないようにと石碑を作って戒めにします。
それから主人公たちは現代に帰還してレブレサックに訪れました。すると、村人たちの戒めとしていた石碑の内容が変わっていたのです。
『魔物に村を襲われたとき、神父さんが自ら魔物の姿になって村人は感謝しました。しかし、突然現れた旅人(主人公たち)は神父さんを魔物と間違えて殺そうとします。これを村人が一致団結して守りました。』と。
これに驚いた主人公たちは土に埋められていた本物の石碑を見つけ、現代の村長にそれを見せます。
ところが、村長は驚きながらもひと息ついた途端、本物の石碑をハンマーで粉々に砕きました。
「正しい歴史を永遠に封印した」のです。
それから話しかけてもしらばっくれる素振りしか見せません。
このイベントにイライラしたプレイヤーも多かったでしょう。(私自身は動画配信で内容を知りました。無論イライラしました。)
見ているだけで胸糞悪い印象を与えましたね。
このように歴史は地域ごとで形を大きく変えていきます。
朝の情報番組である『スッキリ!』が問題を起こしたのも、北海道の地方史(アイヌの歴史)に明るい方がいなかったのが原因です。
文系知識の有無は時に人間関係を根底から変えてしまいます。
文系を英語に直すと『humanities』と表現することもありますからね。(人文科学の意でもある)
『人間』の意義を考える点でも重要な学問だといえるでしょう。
このことから、仕事のみならず生活の基盤を支える概念であるため、文系科目の必要性も甘く見ることはできないのです。
文系の学生へ
僕が偉そうに言えた立場でもないですが、文系の学生の皆様は「文系なんて必要ない」という言葉を無視してください。
人々の中には、自分の世界しか認められない人が結構多いです。
東京03のコント『謝ろうとした日』にあった飯塚さんのセリフが印象に残っています。
「そうやって、自分の知っている世界の外側にあるものを認めない感じ、やめた方がいいよ」
まさにこのセリフが安易な文系批判に当てはまっているのではないかなと僕は思います。
※東京03のこのコントが見られるのはこちらのDVDですね!勉強の息抜きにぜひ!
理系には理系の強みがあり、文系には文系の強みがあるでいいんじゃないでしょうか?
お互いに助け合えばいいのに、わざわざ歪み合う必要性はありますか?
せっかく大学まで行ったのだから、そういう深い部分まで考えられるようなトレーニングをしていきたいですね。
ご覧いただき、ありがとうございました!