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御成敗式目とは?やばいと言われる理由と内容をわかりやすく解説

皆さんも歴史を勉強する中で、一度は御成敗式目という用語を見たことがあるはずです。鎌倉時代に作られた法令ですが、内容があまりにもやばいと言われているのを知っているでしょうか。

この記事では、なぜ御成敗式目がやばいと言われるかをわかりやすく解説します。日本史についてより深く勉強したい方は、ぜひ本記事を参考にしてください。

 

御成敗式目とは

御成敗式目とは、鎌倉時代に発布された武家の法典です。鎌倉幕府の執権に就いていた、北条泰時によって作られました。

一般人を対象としておらず、基本的には鎌倉幕府で働く武士向けに定められたのが特徴です。ここでは、御成敗式目の詳しい内容についてわかりやすく解説します。

承久の乱と御成敗式目の関係

鎌倉幕府は現在の神奈川県に置かれ、最初の頃は東日本を中心に支配していました。西日本側は天皇が権力を握っており、朝廷と幕府の双方に権力があったのが鎌倉時代初期の特徴です。

一方で朝廷と幕府は互いに目の上のタンコブと認識しており、最終的に双方は承久の乱で激しく争います。承久の乱では幕府側が勝利し、朝廷を制圧しながら西日本にも権力を拡大させました。

しかし勢力を伸ばすとなれば、当然ながらより多くの人民を支配しなければなりません。そのためには、統一された法令によって一定のルールを設ける必要があります。

こうした目的を達成させるべく、北条泰時は御成敗式目を作りました。なお承久の乱については、以下の記事で詳しくまとめているので併せて参考にしてください。

当時の社会と法令の関係

当時の社会においては、道理や慣習といった漠然とした要素で人々を縛っていました。実は律令格式という法令はあったものの、ほとんどの人が存在を知りませんでした。したがって武士たちが独自にルールを作り、長い間生活をしていました。

とはいえ各地の武士が自由にルールを作れば、地域によって差が出てくるのは当然です。そこで国全体で統一したルールを作るために、御成敗式目が作られました

 

御成敗式目の内容

御成敗式目は、当時教養があまりなかった武士にも理解できるように作られた法典です。すなわち極めて簡易的に作られたといった特徴がありました。ここでは簡単な内容について詳しく見ていきましょう。

条文の数は全部で51個

御成敗式目の条文は、全部で51個定められていました。51個の理由として、厩戸王(聖徳太子)が作った憲法十七条に対し、「天・地・人」の3つの概念をかけ合わせたという言い伝えもあります。ただし所詮は言い伝えであり、根拠となる資料は特にありません。

なお「吾妻鏡」によると、北条泰時が作成した当初の条文は50個だったそうです。この記録が正しければ、その後に1つだけ条文が追加されたことになります。

民法に関する規定が多い

日本初の武家法と知られる御成敗式目ですが、民法に関する条文も多いのが特徴の一つです。土地の所領問題や夫婦の財産、相続などの規定も存在しました。

特に土地の所領問題の条文が多い理由は、武士の中には地頭に任命される人も少なからずいたためです。地頭とは地方の荘園に赴き、年貢を納める代わりに土地を支配する役職を指します。

鎌倉時代の頃は、分割相続が原因で土地の所有権を巡る争いが多々ありました。地頭には、こうした争いを武力で制圧する権利も与えられます。

このように地頭を含めた当時の武士は、人々の土地を巡る問題にも深く関与していました。したがって、現代の民法に近い条文も多く存在していたと考えられています。地頭については、以下の記事でも詳しく紹介しているので併せて参考にしてください。

 

御成敗式目がやばい理由

一見すると合理的な法令にも見える御成敗式目ですが、実際はやばい部分も多かったと言われています。やばいと言われる理由について、詳しく紹介します。

漠然としすぎている内容

御成敗式目は体系化された法律ではなく、これまでの判例をかき集めた側面が強いといえます。したがって基準があいまいな規定もあり、律令と比べても無理くり作った感は否定できません。

たとえば謀反の罪(天皇や幕府に対する反乱)について、御成敗式目では明確な基準を定めませんでした。過去の判例をチェックしてから決めるという内容となっています。このように、規定の内容における根拠が薄いのがやばいと言われる理由の一つです。

式目追加を頻繁に出していた

御成敗式目は、運用方法も明確に定まっていませんでした。御成敗式目が発令されてからも、幕府は式目追加という形で条文の改正や補足を行います

改正や補足自体は現代でも見られますが、この頃は何か事件が起こるたびに条文が追加されていました。したがって事件の当事者以外は、追加されたルールをほとんど認識していなかったと考えられています。

刑罰の内容が極めて重かった

御成敗式目には刑罰も定められていましたが、その内容が極めて重いことでも有名です。当時から、文書を偽造した場合は有罪と考えられていました。

現代の日本の場合、文書偽造罪を犯しても罰則は拘禁刑に留まります。しかし御成敗式目では、文書を偽造した者の顔に高温の金属を押し付ける、焼印を採用していました。

ほかにも虚偽告訴をしたときは、土地に関する訴えであれば領地の没収、役職に関する訴えであればその職に就けませんでした。人を騙す行為は、極めて重罪と考えられていたようです。

悔返しを女子にも適用させた

鎌倉時代には、「悔返し(くいがえし)」という独特な制度が存在しました。悔還とは、一度親から子に分け与えた土地を、再度親のもとに返すことです。

当時は土地の領主の権利が強かったため、このような制度が認められていました。公家法では適用されたのは男子のみで、女子は対象外でした。

しかし貴族の土地は、一般的に親から娘に与えられていました。そのため御成敗式目では、女子に対しても悔返しを認めます。ある意味、男女平等の精神が見えてくる規定ともいえます。

 

御成敗式目が優れていた点

御成敗式目は独特な法令ではあるものの、優れていたところも少なからずありました。条文の中には、現代の価値観に合っているものもあります。ここでは、御成敗式目が優れていた点を紹介します。

オリジナルの法律であった

奈良時代〜平安時代に法の中心だった律令は、唐の法律を参考にしていました。現代で採用されている法律も、ドイツなどのヨーロッパ法が基盤になっています。

一方で御成敗式目は、幕府がオリジナルで作成したのが特徴の一つです。オリジナルゆえに未完成な部分が多いものの、なるべく平易な文字を使っていることから実用的だったといえます。

人間としての道理を大事にした

御成敗式目では、人間として大切な「道理」を重視していました。たとえば人の悪口を言うと、それをきっかけに思わぬトラブルが発生する恐れがあります。

こうしたトラブルを未然に防ぐべく、御成敗式目は悪口を言った者に流罪または徒罪に処するとしました。現代社会でも誹謗中傷が問題になっていますが、ある意味時代を先取りした条文といえます。

ほかにも人妻と肉体関係を持った者は、所領の半分を没収されました。路上で女性を襲った者には、片側だけの髪を剃るという独特なルールを設けていたのもポイントです。

平等や公平を重んじていた

御成敗式目は、立場に関係なく公平なルールを取り入れていたのも特徴の一つです。たとえば鎌倉幕府では、守護と地頭に人々を統制する権利が与えられていました。

一般的に逮捕権は守護に認められていましたが、荘園に盗賊が入ってきたときは地頭にも逮捕することが可能でした。しかし仮に地頭が盗賊を逮捕せず、匿う(かくまう)などの行為が見られたら、地頭を辞めさせるように御成敗式目は定めています。

鎌倉時代で裁判を担当していた問注所は、身分の違いに関係なく平等な判決を出していました。御成敗式目は過去の判例も積極的に取り入れており、平等や公平を重んじた法令につながったと考えられます。

 

御成敗式目のまとめ

御成敗式目は、現代社会で考えると独特なルールが多かったため、やばいと言われることもあります。一方で道徳を大事にしていたり、平等精神を重んじたりと優れていた部分も少なからずありました。

高校の授業では、御成敗式目という名称が出てくるだけで深堀りはしません。しかし歴史用語の理解を深めるには、なるべく細かい部分まで噛み砕いて勉強することが大切です。今後も日本史に関する記事を増やしていくので、興味のある方はぜひ読んでみてください。