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壬申の乱が起こった原因と結果を解説!後継ぎ問題は怖いね

どーも、やまとのです!

 

以前、日本史の解説で大宝律令について書いてみました。

 

その際にちょっとだけ出てきた

壬申の乱という言葉。

 

一体、これはどういう争いだったのでしょうか!?

 

壬申の乱の原因と結果について解説していきましょう!

 

 

1.壬申の乱は後継ぎ騒動

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まず、壬申の乱の概要を簡単に説明すると

「天皇による後継ぎ争い」です。

 

日本はこの時代で既に何名もの天皇が現れましたが、大化の改新で活躍した中大兄皇子もまた天智天皇として君臨していました。

 

これまでは蘇我氏が独裁政権を敷いていましたが、天智天皇はこの体制を改めるべく多くの改革を担います。

 

しかし、天智天皇が病に倒れるようになり、ここで後継ぎ問題が発生しました。

 

当初、天智天皇は大海人皇子(天智天皇の弟)を皇太子にしていましたが、ある時から大友皇子に実権を委ねようとする動きを見せるようになります。

 

結局天智天皇は亡くなられて(天皇が亡くなることを崩御という)、まだ24歳の大友皇子が政治を担うようになりました。

 

それに反発した大海人皇子がクーデターを起こし、これが壬申の乱に繋がります。

 

 

2.壬申の乱の原因はさまざま

壬申の乱が起こった原因は、単なる大海人皇子の不満だけで片付けられるようなものではありません。

 

考えられる原因は諸説存在します。

 

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その中でも濃厚とされているのが、

皇位継承問題です。

 

実は大化の改新が起こったときも、天皇の位を巡って問題が発生していました。

 

この当時、天智天皇のお母さんにあたる皇極天皇が位を天智天皇に譲ろうとしました。

 

しかし、天智天皇は最初それを断って、皇極天皇の弟にあたる孝徳天皇を推薦します。

 

そのまま天皇の位には孝徳天皇が就くわけですが、後の天智天皇はこの頃から実権を握って政治を動かしていました。

 

そういった強引なやり方で政治を動かしていたことに当初より不満を持っていた大海人皇子は、

「天智天皇の子である大友皇子に位の座を渡してたまるか」と反乱を起こします。

 

この他にも、白村江の戦いで天智天皇がボコボコに負けたことや天智天皇と女性関係を巡って不仲関係になったなどという説があります。

 

 

3.結果はまさかの反乱側が勝利

歴史的に見ても、反乱は基本的に起こす側が負けるパターンが殆どです。

 

しかしながら、壬申の乱の結果はまさかの反乱を起こした大海人皇子側が勝利しました。

 

そのため、日本史の中でも珍しい乱として取り扱われることが多いです。

 

後半に大海人皇子が快進撃を続けて、追い詰められた大友皇子は自決するという最期でした。

 

古代日本最大とも言われた壬申の乱に勝利した大海人皇子は天武天皇となり、中央集権のための政治を進めていきます。

 

 

4.まとめ

今回は壬申の乱の原因と結果をひと通り解説していきました!

 

いかがだったでしょうか?

 

前回書いたコチラの記事も併せて読むと、古代日本が何を目指していたのか少しだけ理解が深まるようになります。

 

コツを掴めばスムーズに受験勉強も進むので、ふりかけ感覚で添えながら役立たせてみてください!

 

最後にまとめとして下に壬申の乱における原因と結果を書いておきます!

 

◆壬申の乱とは?◆ 大友皇子(天智天皇の子)が天皇の座についたことに対して大海人皇子(天智天皇の弟)が起こした反乱
→天智天皇の強引さが原因か!?

結果は日本史では珍しく反乱を起こした
大海人皇子』の勝利!

 

ご覧いただき、ありがとうございました!

 

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