日本と世界の政治を見る中で、「人権」は無視できないテーマの一つです。今回は人権についての基本的な取り決めである、世界人権宣言と国際人権規約の違いを解説します。
また日本で締結された条約についても、わかりやすく説明している記事です。政治経済を苦手としている高校生は、記事の内容を参考にしてください。
人権の国際化とは
世界人権宣言や国際人権規約を説明する前に、人権の国際化の定義を解説しましょう。
人権の国際化とは、人権保障の重要性を世界単位で拡大する考え方です。人権は、人間らしく生きられる権利を指します。
人権の国際化が提唱された背景
第二次世界大戦期、ファシズムやナチズムによる大量虐殺が行われました。ユダヤ人の迫害など、その在り方は極めて残酷なものでした。
こうした問題点を改めるべく、人権の重要性を世界に認知してもらう必要がありました。そこでフランクリン=ローズベルトの主張をきっかけとし、国際的にさまざまな条約が結ばれます。
四つの自由が提唱される
アメリカの大統領であるフランクリン=ローズベルトは、人権の重要性を広めるべく四つの自由を提唱しました。
四つの自由 | 内容 |
---|---|
言論・表現の自由 | 自由に情報発信、取捨選択する自由 |
信仰の自由 | 特定の宗教を信じる、信じない自由 |
欠乏からの自由 | 社会権、生存権に関する自由 |
恐怖からの自由 | 戦争や暴力を受けない自由 |
これらの主張は、世界人権宣言や国際人権規約の橋渡しの存在になります。
世界人権宣言と国際人権規約の違い
世界人権宣言と国際人権規約を区別するうえで、一番の違いといえるのが法的拘束力の有無です。このポイントを押さえつつ、それぞれの違いを解説しましょう。
世界人権宣言=法的拘束力なし
世界人権宣言は、1948年の国連総会で掲げられた人権に関する基準です。こちらはあくまで宣言(勧告)であり、条約とは認定されていません。したがって法的拘束力は持たないと考えられています。
ただし世界人権宣言は慣習法の一種であるため、法的拘束力を持つと考える人もいます。この辺りを深堀りするとややこしくなるので、高校生のレベルでは法的拘束力はないと覚えましょう。
国際人権規約=法的拘束力あり
国際人権規約は、世界人権宣言の内容を具体化した条約と考えるのが覚えやすいです。当該規約には、大きく分けて3つの種類があります。
- A規約
- B規約
- B規約の選定議定書
それぞれの内容と日本の批准状況について見ていきましょう。
A規約=社会権規約
A規約の正式名称は、「経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約」です。
生存権や社会保障、教育を受ける権利といった人間らしく生きる権利に関する取り決めであり、「社会権規約」と略されています。
日本では1978年5月30日に署名して、効力は1979年9月21日に発生しました。しかし締結するうえで、公務員のストライキ権と中等・高等教育の無償化、公の休日の報酬支払いについては留保しました。
一方で中等・高等教育の無償化の導入は、2012年9月に留保が撤廃されました。つまり中等教育学校や高校においても、少しずつ無償化が適用されたわけです。
B規約=自由権規約
B規約の正式名称は、「市民的及び政治的権利に関する国際規約」です。
国家からの強制や恐怖から逃れるといった自由権に関する取り決めであり、自由権規約と略されます。
日本でも思想良心の自由や信教の自由、表現の自由などB規約には留保なく批准しました。ただしB規約の選定議定書とは区別して覚える必要があります。
B規約の選定議定書
B規約の選定議定書には、死刑廃止に関して取り決められています。いわゆる死刑廃止条約ですが、1989年12月に国際連合総会で採択されました。
しかし日本は、B規約の選定議定書には批准していません。そのため日本では、今も変わらずに死刑制度が存在します。
国際人権規約以外の条約
最後に日本で批准された、国際人権規約以外の条約を紹介しましょう。これらも世界的な人権問題を考えるうえで重要な要素の一つです。
難民条約=1981年に批准
難民条約の正式名称は、「難民の地位に関する条約」です。難民とは戦争などの理由により、故郷から逃れて他の国に移り住んだ人々を指します。
難民条約では、迫害を受けている人々を故郷に返してはいけないと考えます。この考え方がノン=ルフールマンの原則です。
日本では1981年に批准し、1982年には出入国管理及び難民認定法が生まれました。
女性差別撤廃条約=1985年に批准
女性差別も世界的に問題視されている要素の一つです。歴史的にも女性差別は多く見られており、日本でも女性に選挙権が与えられたのはつい最近の話です。
こうした問題に対処すべく、女性差別撤廃条約が誕生して日本は1985年に批准します。批准後、下記の動きがありました。
批准後の日本の動き | 内容 |
---|---|
国籍法の見解を改める (1984年) |
父系優先血統主義(*1) →父母両系血統主義(*2) |
男女雇用機会均等法の制定 (1985年) |
職場の男女平等 |
男女共同参画社会基本法の制定 (1999年) |
男女があらゆる分野に 参画できる社会 |
子どもの権利条約=1994年に批准
子どもの権利条約とは、子どもの人権を守るために掲げられた取り決めです。18歳未満の者には、以下の4つの権利が与えられています。
子どもの権利 | 内容 |
---|---|
生きる権利 | 子どもの命を守る |
育つ権利 | 教育、医療、生活の支援を受ける |
守られる権利 | 暴力や労働の酷使から守る |
参加する権利 | 意見の表明や団体設立を認める |
国連では1989年に採択され、日本は1994年に批准しました。このように子どもも一人の人間として、世界からも認められるようになったのです。
人種差別撤廃条約=1995年に批准
人種差別も、世界共通といえる問題の一つです。日本でもアイヌ問題や部落差別(同和問題)など、少なからず差別問題は存在していました。
こうした問題を解消すべく、1995年に日本は人種差別撤廃条約に批准します。その後、1999年にはアイヌの文化を尊重するアイヌ文化振興法が制定されました。
人権に関するまとめ
この記事では、人権の国際化について詳しく紹介しました。世界人権宣言と国際人権規約は、高校生の政治経済の内容として確実に押さえる必要があります。
また条約は名称が長く、覚えにくいと感じる人も多いでしょう。正式名称は何とか覚えるしかありませんが、内容を押さえていればより理解しやすくなります。