どーも、青二才ヤマトノです!
前回で『ドッジボールの戦いの記録』シリーズが完結しました!
このシリーズではドッジボール30年の歴史をサラッと知ることができます。
ただ、都合上紹介できなかった部分もあるので、機会をうかがってまた書いていきたいと思います。
今日の内容はドッジボールに限らず、スポーツ全般のお話となります。
◉目次
【1.大坂なおみ選手優勝】
テニス全米オープンで大坂なおみ選手が2年ぶりとなる優勝を成し遂げました。
「人間として変わらなければ」
プレーのみならず、テニスプレイヤーとして、人として成長できるように取り組んだ大坂なおみ選手は決勝戦で1セット目を取られた状況から見事逆転優勝を果たしました。
精神面で成長したことが多くの人々に印象として残ったのかなと思います。
また、今大会はアメリカの抗議関連の問題で一時はストライキを表明しましたが、テニスプレイヤーとしての役割を感じて復帰。
そこからの躍進の背景には、彼女の中で守るべき「信念」があったのかもしれません。
【2.守るものがある戦い】
スポーツにおいて、守るものがある戦いは強いと常に感じておりました。
「信念」「プライド」「誇り」
守るべきものがあると、例え劣勢でもそこから意地を見せるようになります。
「こんなところで負けていられない」
と歯を食いしばったとき、わずかなチャンスから一気にゲームを覆すことも可能です。
反対に
「負けてもいいや」
と戦う意義を失ってしまうと、肝心なところでやってはいけないミスをしてしまいます。
スポーツは勝つためにやるものではないという考えは分かりますが、それを逃げるための言葉に使ってはいけません。
勝つために活動しているわけではないと戦う前から口にしていては、スポーツで得られる本当の価値に気づくことはできないのです。
僕のもう一つのブログであるアメブロでは何回か書いたことがありますが、試合に勝利することは相手の夢を奪うことになります。
それは仕方がないことです。
ですが、敗れた相手はその思いを我々に託します。
僕が高校ラグビー部の選手だった頃、新人戦1回戦でほぼ負けが確定したところから劇的な大逆転を果たして勝利しました。
そのとき、相手チームから
「絶対に勝ち続けろよ!」
と思いを託されました。
僕らはそのまま決勝戦まで勝ち進み、決勝戦では恐ろしいほどの大敗を喫しましたが笑、県大会準優勝で地方ブロック大会に進むことができました。
敗れた相手の分まで精一杯戦う。
この思いもまた1つの守るべきものだったのかなと思います。
スポーツは決して我々だけの戦いではありません。
【3.楽しむ】
スポーツにおいて1番定義づけが難しい言葉だなと思います。
スポーツにおいて「楽しむ」とは何か?
遊び感覚でスポーツをしても楽しいかもしれません。
ですが、力の差が歴然で何もプレーできなかった試合は果たして楽しいかと言われると僕は嫌ですね。
多少練習が厳しくても、成績を残した大会は素直に楽しかったなと思います。
ボコボコにやられてすぐに負けた大会は振り返ろうとすら思えませんが、自分が活躍できた大会や成績を残した大会は今も好きです。
辛いことはたくさんありましたけど、その分頑張ってきて良かったなと思えます。
理不尽に怒られたこともありますし、ほぼ扱きみたいなこともありました笑
トイレ行くフリして逃げたこともありましたが、そういう辛い経験の先には楽しいことが待ってると信じて頑張りました。
時代が変わったのもありますし、僕の経験も一種の根性論的なところがあるかもしれません。
今の時代、根性論は真っ向から否定されつつあります。
科学的根拠のない練習を根性論と言うのであれば、僕も根性論否定派になります。
ですが、厳しいことを全て含めて根性論と否定するのは賛成できません。
その競技が楽しいのであれば、厳しい経験も必要だと考えます。
やりがいが全く感じられないことは無理に頑張る必要がないと僕は思いますが、それならすぐにやりがいのあるものに没頭すべきです。
楽しいところに厳しさを求めると、一生語れる宝物になります。
その宝物を守ろうと頑張るのも良いかもしれませんね。
【4.終わりに】
今日は守るべきものがある戦いを中心に、楽しむという言葉についても見ていきました!
スポーツができるこの瞬間も戻っては来ない時間になりますので、ぜひ大切にしてください。
というわけで今日の記事は以上です。
最後まで読んでいただきどうもありがとうございました!
今日はアメブロは更新しないので、はてなブログ単体の記事になります。