どーも、青二才ヤマトノです!
今日はたくさんの方にドッジボールを知ってもらおうとこれまでの歴史を振り返ります。
今年度で30周年を迎える公式ドッジボール。
この30年でドッジボールはどこまで認知されるようになったかは分かりませんが、これを機にどんどんいろいろな方へ知ってもらいたいなと思います!
そして、ぜひ皆さんの周りのドッジボールチームを当たってみてください!
◉目次
【1.ドッジボールの誕生】
時は遡り、1991年
そろそろ20世紀の終わりが見えてきた頃、スポーツ界に新たな息吹が芽生えました。
このスポーツの公式な大会が開催されます。
それが、ドッジボールの全国大会である、
SUN STAR CUP 第1回全日本ドッジボール選手権でした。
学校の遊びから派生した本格バトル。
ここから30年、ドッジボールは走り続けます。
子どもだけではなく、大人もなかなか抜け出せなくなる面白さ。
刻々と刻まれる300秒のカウントダウンが、息を飲む緊張感を生み出します。
そして、これまでも数々の英雄たちが熱いドラマを生み出していきました。
【2.初代チャンピオン】
1991年の夏、ドッジボール界において初めて全国No. 1のチームが誕生しました。
そのチームの名は、
小木クラブ(石川県)
この頃は2日間の開催で、1日目は予選リーグが行われ、8チームのリーグが2つ。
総当たりで4チームまでが生き残ります。
小木クラブはその総当たりを全て勝利して、堂々の1位突破でトーナメントに挑みます。
2日目のトーナメントは3セットマッチを全試合行って、2セット取った方が勝ちというルールです。
その勝負では1セットも落とすことなく、文句無しの優勝となりました。
半年後に行われた春の全国大会でも小木クラブは出場し、これまた1度も破られることなく、夏春連続優勝を果たしました!
石川県のレジェンドである小木クラブは、現在も活動を続けており、2018年の夏には全国大会にも出場しています。
初代から続く名門チームは今もなお健在。
まさに、ドッジボール界の礎なのです。
【3.黎明期の伝説】
翌年、ドッジボールの第2回大会が開催されます。
その年に登場したのは、
秦野西ファイターズ(神奈川県)
現代のドッジボール戦法の基礎を築き上げたと言われるドッジ界の名門です。
その理由は
夏の第2回大会〜第4回大会、
春の第2回大会、第3回大会、第5回大会
と合計6大会の全国制覇を成し遂げているからです。
全国大会準優勝も2回経験しているなど、輝かしい記録を残し続けてきました。
優勝回数の6回という記録は未だに破られていません。
一時期の巨人軍のように、どのチームが秦野西ファイターズを打ち破るかが、ある種注目の的だったのかなと思います。
公式ドッジに秦野西あり。
この秦野西ファイターズの存在で、全国のドッジボールのレベルはさらに高まっていきます。
【3.宿敵見参】
秦野西ファイターズ、夏の4連覇に期待がかかる第5回大会。
予選リーグはもはや通過点かのように思われた秦野西ファイターズに思わぬ宿敵が現れます。
予選リーグで熱いバトルを繰り広げて、お互いに大きく内野数が削られていきます。
12人チームで内野には最高11人スタート時に置くことができますが、
最終スコアはなんと4-2
秦野西ファイターズがギリギリで勝利するものの、金剛寺ファイターズの登場に不安は隠せません。
翌日の決勝トーナメントでは、秦野西ファイターズは問題なく決勝戦に進出します。
反対の山から勝ち進んできたのは、予選で秦野西を苦しめた金剛寺ファイターズ。
この運命の決勝戦は接戦に次ぐ接戦となりましたが、優勝をもぎ取ったのは金剛寺ファイターズでした。
ここで、世代交代となり、金剛寺ファイターズが夏2大会、春1大会の計3回全国王者となりました。
【4.終わりに】
本日は、ドッジボールの歴史の草創期ということで、初期の頃の大会をまとめていきました。
ここから更なる展開が待っています!
というわけで今日の記事は以上となります。
最後まで読んでいただきどうもありがとうございました!
※続きの記事はアメブロで!
19時5分に投稿予定です!