青二才ヤマトノの学習帳

法律とスポーツが生み出す「秩序」

人殺しは本来生きられない

どーも、こんにちは!

青二才ヤマトノと言います。

今回からまた法律に戻ってブログを書いていきたいと思いますのでよろしくお願いします。

 

今日の内容は、ズバリ殺人罪について書きます。

 

殺人罪は年々減少しており、ここ3年ぐらいはは検挙数が1000件を切るようにもなりました。

 

ですが、依然として凶悪な犯罪は続いており、罪のない人が尊き命を落としてしまうという悲しい出来事はまだ全国的に見られます。

 

今日は殺人について書きますが、もちろん様々な意見が分かれるところなので、あくまで自論ですよとだけは言わせてください。

 

◉目次

 

 

 

【1.静岡県の事件】

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皆さんもまだ記憶に新しいと思いますが、静岡県の閑静な住宅街で殺人事件が起こりました。

 

殺害されたのはまだ将来を有望される女子大学生であり、殺人容疑で逮捕されたのは自称大学生の男性でした。

 

ストーカーから殺人に発展したのか、それとも何か怨恨があったのかは分かりません。

 

しかし、どんな理由があろうとも殺害する方が100%悪いのであって、被害者に原因があるなどという考えそのものが間違いだとはっきりと僕は主張します。

 

よく勘違いされますが、殺害した側はまだ自身も生きているので幾らでも自ら弁解することができます。

 

一方で被害者はいくら望んでも自らの口で主張することができないんです。

 

加害者にも人権をとは言われますが、この時点で既に圧倒的な不公平が起きているんですよ。

 

自身はもう世間に訴えかけることができないのに。

 

ただ、今回の事件を世間に公表する際には、きちんとご遺族の方の声に耳を傾けてほしいです。

 

僕らの知る権利よりも、ご遺族方のプライバシーが優先されるのは当たり前なので。

 

公開したくないことは、ニュースとかで知る必要もありませんし、逆に世間に公表したい主張などがあった場合には、その機会を設けてあげてほしいなと思います。

 

被害者のご冥福をお祈りします。

 

 

【2.殺人罪の考え方】

今回のケースは間違いなく、殺人について故意があったと言えます。

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故意というのは、狙ってその罪を犯そうとする意思です。

 

ですので、間違いなく殺人罪が適用されるかと思います。

 

ギリギリ20歳に到達していたため、少年法減刑はなく、恐らく検察はそのまま起訴手続きを行うので裁判がどのような判決が出すかというところが肝心な部分です。

 

法律で決められている刑罰は、『死刑・無期懲役・5年以上の懲役』となっております。

 

ただ、ここで1つ言いたいのは、被害者は命を奪われているんです。

 

まだまだ、人生を楽しく生きていきたかったのに、それを加害者が奪うという今回のような事件。

 

人ひとりの人生を失わせておきながら、自分はのうのうと生きていられるのは被害者目線に立てばおかしい話です。

 

僕が考える情状酌量が許される例は、自分の大切な人の命が奪われた時だと考えております。

 

別に復讐が正義だとは言っていませんからね?

 

ですが、まだ気持ちは分からなくもない範疇かなとギリギリ思います。

 

今回の件が彼女に振り向いてもらえなかったからとかそういう理由なのであれば、もう生きる権利を与える必要はないと僕は考えます。

 

もちろん、ただの憶測にしか過ぎない一つの例ですが。

 

刑法の論拠には

という2つの考え方があります。

 

応報刑とは、一般的に唱えられているのは犯罪にかかる応報として犯罪者に刑罰を与えるべきだという考えです。

 

原点は「目には目を 歯には歯を」であり、復讐的な考えに基づいています。

 

反対に目的刑とは、刑法における威嚇と考える説もありますが、一般的に言われているのは教育や更生を図りながら犯罪の防止につなげるという考えです。

 

今回はカテゴリーとしてざっくりと大別しましたが、本来は各々の理論にもさらに考え方が分かれていきます。

 

この2つの理論は、今から約100年前にはどちらが正しいかと主にヨーロッパで争われていました。

 

応報刑論の支持者はカントやヘーゲル目的刑論の支持者はリストですね。

 

今もなお、どちらが正しいかと言われがちですが、そもそもこの論争が起こった原因は刑法自体がまだ整備されていなかったのも背景にあります。

 

今から100年も前の話なので、まだ第二次世界大戦も起こっていないわけですから。

 

そこで、人権そのものも見直されてきて、日本においても刑法がしっかりと確立されるようになりました。

 

もはや、応報刑論と目的刑論のどちらが正しいかを論じる必要もなく、お互いの長所を上手く見ていきながら吸収していけばいいのです。

 

そして、義務教育がここまで整備されていて、高校や大学に進学する人も増え、進学しない人も不自由なく学べるくらい情報が発達してきている今、改めて目的刑論に偏りすぎる必要も無いのではというのが僕の考えになります。

 

今はメディア関連も含め、被害者側の人権が問題になっております。

 

いくら、加害者の育ちや友人関係等にトラウマがあったとしても、罪のない人の命を故意に奪って許されるのは、被害者を蘇生することだけです。

 

重罪になればなるほど、被害者の人権を尊重することが大事なんです。

 

 

【3.終わりに】

今日は刑法においても最も究極な問題である殺人罪について自論を述べました。

 

法律は社会の秩序を守るルールなので、全てが正解だと思うかもしれません。

 

六法全書がこの世の正義という言葉をどこかで見たような気もします。

 

ですが、実際は細かいところでいろいろな考えが衝突しており、未だ解決できていない部分も多々あります。

 

民法の大改正もありましたが、時代によって法律が変化していくことは頻繁に起こり得るのです。

 

だから、今回の僕の記事については、賛成反対はあるでしょう。

 

ただ、どの視点に立ってもこの世を良くしたいという強い思いがあるのには変わりありません。

 

意見が異なれば一見敵に思えてしまいますが、向いている先は皆同じです。

 

逆により多くの人が法に興味を持つことで、社会秩序はどんどん良い方向に向かうのかもしれませんね。

 

というわけで今日の記事は以上となります。

最後までご覧いただきありがとうございました!